2005.01.04
四十日の終りの日、この日は上記のように海岸まで歩いていき、ずっと知り合いのうちで食べて飲んで過ごし、夜遅くになって送ってもらい、それから仮眠して、起こしてもらってふたりで坐った。
今年の抱負というものがある。毎日祈りの時間を持つこと。これは四十日瞑想をしていたから出てきたことだなぁと、御褒美のように思った。当たり前といえば当たり前なのだが、なかなかそのための時間を持てないことがある。そんな時、「酔っていても坐る」というのは、もちろんよくはないのだけれど、必死で自分を奮い起こしてもやるのは無意味ではないなと感想を持った。
とにかく、何かを毎日すること、もちろん食べたり寝ること以外に。
これを知らせてくれたK子さん(名前そのままだ!)に感謝。はっと気づいてやろうとしたきっかけが、彼女のブログであった。そして、終りの日がたまたま元旦だった。いい一年のはじまりになった。
四十日瞑想の項、これで終了します。今日からは毎日瞑想のはじまり。
2006年01月04日
2005年12月31日
38日目--今年あと二日を瞑想的に過ごす
2005.12.30
ここまで護られてきたなぁと実感がある。暖かな部屋で、ゆったりと坐ることができる環境に、もう一年も暮らすことができた。瞑想は、毎日すると、ずいぶんいい。こんな言い方しかできないが、この40日という区切り目に、これから先も習慣にすることができそうだ。といっても、まだ区切り目まで来ていない。
この間うつを経験し、瞑想が助けになってきたことは確かだ。障害者の人たちにそのまますすめるのはむずかしいが、何でもいいから毎日することをその人なりに見つけたら、それが生活のベースになっていくのではないか。そんなことを考える。
今日はほぼ一日、ひとりでくるくると掃除をし、そのあと勉強。まったく外出なし。勉強はいくらしても足りなく感じられる。一年間の写真日記は、人物がほとんどいないのは、ブログには当人の承諾などがいって載せにくいからで、植物や風景ばかり撮っているわけではないが、それでも風景は好きである。
ここまで護られてきたなぁと実感がある。暖かな部屋で、ゆったりと坐ることができる環境に、もう一年も暮らすことができた。瞑想は、毎日すると、ずいぶんいい。こんな言い方しかできないが、この40日という区切り目に、これから先も習慣にすることができそうだ。といっても、まだ区切り目まで来ていない。
この間うつを経験し、瞑想が助けになってきたことは確かだ。障害者の人たちにそのまますすめるのはむずかしいが、何でもいいから毎日することをその人なりに見つけたら、それが生活のベースになっていくのではないか。そんなことを考える。
今日はほぼ一日、ひとりでくるくると掃除をし、そのあと勉強。まったく外出なし。勉強はいくらしても足りなく感じられる。一年間の写真日記は、人物がほとんどいないのは、ブログには当人の承諾などがいって載せにくいからで、植物や風景ばかり撮っているわけではないが、それでも風景は好きである。
2005年12月30日
2005年12月29日
33,34,35,36日目
ミラーと箱根の山々(夕焼けばかりの写真をとっている)
2005.12.28
年の瀬、まさに年の瀬であるが、テレビもラジオも縁がない我が家では、年末の実感といったらたまに街に出るときか、散歩してあおぐ空のようすくらいしかない。自然はカレンダーとは関係なく、12月31日と1月1日との違いなんてないのだが、わざと年末だと思ってみると、気持がちょっとは引き締まる。
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2005年12月25日
30,31,32日目
クリスマスイブの鶴巻温泉駅
2005.12.25
クリスマスイブは、とくべつ瞑想を長めに行う。聖書から、キリスト生誕のいきさつの箇所と、洗礼を受けてから(キリストも聖ヨハネから洗礼を受けているのだ)荒野で四十日間の行をおこなった部分を読んだ。そのあと宣教に出たことが書かれている。
キリストはあえて困難な人生を選んで生まれてきたかのように思える。馬小屋で生まれたというその日を思う。そうしたら、キリストは、毎年クリスマスに生まれなおしているように思えてきた。いや、この瞬間にも生まれているのだ。「内なるキリスト」という言葉は、日々新たに、自分とともにあるキリスト、何度も何度も、あきらめずに生まれ返す内なる神聖なるもの、、、坐りながらそんな感覚を味わっていた。
夜になると外を激しい風が吹く。日本のあちこちで降雪のニュース。この相模平野には、雪はまだ一片も舞い降りてきていない。
2005年12月22日
26,27,28,29日目--木枯らしの音がする
2005.12.21
木を枯らすと書いて木枯らしか・・・、外に激しく風吹く音がする。西側の窓をおおう木々はすっかり葉を落とし、森から抜け出したように部屋は明るくなった。夜静かな時間には、自然の音しか聞こえない。聴覚がとても敏感になる。耳から瞑想に入っていく。
毎晩かならずたっぷりのスープをとる。空いている石油ストーブのてっぺんの熱を無駄にしたくないので、買いたてのテフロン加工の大鍋をかけ、タマネギはじめ野菜をたっぷりと炒めてから、山で汲んできた水をふちまで注ぎ込む。これで次日の夜までは安心である。
木を枯らすと書いて木枯らしか・・・、外に激しく風吹く音がする。西側の窓をおおう木々はすっかり葉を落とし、森から抜け出したように部屋は明るくなった。夜静かな時間には、自然の音しか聞こえない。聴覚がとても敏感になる。耳から瞑想に入っていく。
毎晩かならずたっぷりのスープをとる。空いている石油ストーブのてっぺんの熱を無駄にしたくないので、買いたてのテフロン加工の大鍋をかけ、タマネギはじめ野菜をたっぷりと炒めてから、山で汲んできた水をふちまで注ぎ込む。これで次日の夜までは安心である。
2005年12月18日
第23,24,25日目
瞑想が習慣になっている。これだけでもいいことだ。40日間はずいぶん長く感じる。長い旅のようだ。25日目は詩の朗読会の帰りで、夜中の一時ころになってしまった。それでも坐る。眠気が次々とやってきて、寝てしまっていることをパートナーに指摘される。それでも坐る。今夜は、日が変わってしまってからであったが、それでも坐る。月が三日続きでこうこうと明るい。
2005年12月15日
第21、22日--冷え込む夜、満月近く
2005.12.14まで
月光散歩を夜中にしている。月の光はヨガにもいいし、気功にもいい。そうして、たっぷりと月光浴をしてきたあとに坐ると、青い光の振動がからだ中に染み渡るようだ。心とからだをひとつに感じていると、そんなこともわかる。少々風邪ぎみで、粘膜がかさついている。夜にはすごく疲れている。
月光散歩を夜中にしている。月の光はヨガにもいいし、気功にもいい。そうして、たっぷりと月光浴をしてきたあとに坐ると、青い光の振動がからだ中に染み渡るようだ。心とからだをひとつに感じていると、そんなこともわかる。少々風邪ぎみで、粘膜がかさついている。夜にはすごく疲れている。
2005年12月13日
第20日--内なる神という豊かさの源から
2005.12.12
ちょうど半分の折り返し点にやってきた。瞑想の文章が、けっこうむずかしく混みいったものなので、何回かていねいに読んでから坐るようになっている。今日の文章を日本語に訳してみた。
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ちょうど半分の折り返し点にやってきた。瞑想の文章が、けっこうむずかしく混みいったものなので、何回かていねいに読んでから坐るようになっている。今日の文章を日本語に訳してみた。
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2005年12月12日
第19日--瞬間ごとに芽吹くもの
2005.12.11日分
群馬から帰ってきて、夜すぐに坐る。阿弥陀仏のことを思い出した。原語で"タターガタ"という。「如々として来る」という意味だそうだ。さらに詳しくは、「瞬間ごとにつねに訪れ続けるもの」と聞いた。
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群馬から帰ってきて、夜すぐに坐る。阿弥陀仏のことを思い出した。原語で"タターガタ"という。「如々として来る」という意味だそうだ。さらに詳しくは、「瞬間ごとにつねに訪れ続けるもの」と聞いた。
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2005年12月10日
第16,17日目--月の光が明るい夜
夜に坐る時間が一定してきている。このごろはだいたい11時半ころ。そのまま寝てしまうか、またはもっと長く坐っていることも。瞑想のガイドの文章が意外とむずかしく、それでも、うちなる豊かなスピリットの働きで、叶えられないと思っていたことも、すべて可能になる、という一貫した祈りは変わらない。
エゴへのしがみつきを手放せば、神が働きだす、そういった経験がリンクしつつあちこちで現れはじめている。しっかりつかむことは大切だが、次にはそれを手放すこと、その手放すことがむずかしいが、瞑想はそのための静かな時間を与えてくれる。
エゴへのしがみつきを手放せば、神が働きだす、そういった経験がリンクしつつあちこちで現れはじめている。しっかりつかむことは大切だが、次にはそれを手放すこと、その手放すことがむずかしいが、瞑想はそのための静かな時間を与えてくれる。
2005年12月08日
第15日目--山の水
丹沢山系には、数え切れないほどの湧水の名所がある。そのうちのひとつに行き--峠を超えただいぶ山深い懐だ--タンクにたっぷりと水をいただいてくる。あちこちの水を飲み比べているうちに、その違いがわかってきた。この度の水は、とてもなめらかで、舌に乗せると少々重くもったりした感じがある。
瞑想の間に水を飲むといい。だいぶ部屋の空気が乾いている。夜中トイレにたった折りに喉にひとすじ流し込む、水があまりに透きとおっているので胸に哀しい。
瞑想の間に水を飲むといい。だいぶ部屋の空気が乾いている。夜中トイレにたった折りに喉にひとすじ流し込む、水があまりに透きとおっているので胸に哀しい。
2005年12月07日
第14日目
2005年12月06日
2005年12月04日
2005年12月02日
第10日目--内なる豊かさとつながること
2005.12.02
遠くの山まで見えるが、曇天でぱっとしない天気。今日は裁判所まで行き、このごろすっかりおなじみになってしまった重苦しい表情ばかりの人たちが集まっている雰囲気が、天気と一致している。
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遠くの山まで見えるが、曇天でぱっとしない天気。今日は裁判所まで行き、このごろすっかりおなじみになってしまった重苦しい表情ばかりの人たちが集まっている雰囲気が、天気と一致している。
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