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2005年11月22日

ぼくが生まれたとき

abcabc

2005.11.22

 二十四時間の生死を分けた昏睡から醒めると、世界は光の洪水だった。
世界は美しく、良かった。そこには自分は居ず、または、自分しか居なかった。
 
 「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である」 

 神の赦しと癒しのなかで、もう一度自分が生まれるプロセスをぼくは見た。
 そしてぼくは、もう一度この世界に還ってきた。

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2005年10月21日

旅の終りに向けて

つぎつぎと 繰り延べられる曼陀羅の 極微極彩小世界に遊ぶ旅する

こまやかに 磨きたてられた黄銅の 仏陀たちの静かなダンスに取り巻かれている

果てしなく湯のなかに沈んでいく体 浴窓から漏れてくる犬の声

ほの暗いレンガ色した王宮広場 雲の茜がわずかに映る

昼に蹴飛ばされ、夜に吠えたてる犬たち 残飯はどこかに持ち去られる

町の心は早朝 市場でもまれ、鍛え上げられ、一日へつぎつぎと送り出される

ひっきりなしのマンディルの鐘 黒い手赤い手茶色の手 盆に盛られた花米野菜

巻き上がる 砂塵ざわめきベルの音 逆光に長く影ひく篭負う男

今日行こう 明日は行こうと思いつつ ひからびて風に吹かれる洗濯物

出し忘れたはがき一枚ノートに挟み 一日町を巡る

道の端の舗装が切れたあのあたり あのでこぼこが好きだと思う 旅の終り

荷物をまとめ あれもこれも良かったと言い合い床につく 旅の終り

あの人も この人も今朝交差点を渡る 何事も無き今日一日のため

ぼくらは活気のある廃墟から 日本という世紀末のモデルルームへと向かう

             1998ネパールにて
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Take it or Not

Take it or not

発疹などの過敏症、眠気、せん妄、錯乱、幻覚、妄想などの精神症状

ショック、アナフィラシー症状などの重い副作用の怖れ

眠気、めまい、ふらつき、たちくらみ、アカシジア様症状、あごやほおの筋肉異常

頭痛、不眠、頭がぼーっとする、ぼんやり、集中力低下、記憶減退、動作緩慢

あくび、圧迫感、抑うつ感、神経過敏、焦燥感、不安感、躁状態、気分の高揚

舌の麻痺、言語障害、しびれ、運動失調、知覚異常、異常感覚、各種精神神経症状

動悸、血圧上昇、低血圧、起立性低血圧など循環器異常、白血球減少などの血液異常、肝機能障害

吐き気、のどの渇き、便秘、下痢、腹痛、腹部膨満感、食欲不振、消化不良、空腹感

口の中の粘膜の晴れなどの消化器障害、排尿障害、頻尿などの泌尿器の異常、腎障害

血清カリウム値の上昇、血中ナトリウムの低下

倦怠感、脱力感、息切れ、胸痛、熱感、ほてり、発汗

視力異常、眼痛、耳鳴り、鼻づまり、歯がカチカチする、体重増加、脱毛、血清鉄の上昇や低下

筋肉痛、射精異常、乳汁漏出 などの副作用を伴う可能性がある。

<選択的セロトニン再取込み阻害剤(SSRI)>

<適応症>
・鬱病、欝状態、強迫神経症

2003年秋ころ
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2005年10月12日

反復

空に一本 太い線を引きたい
深夜の校庭を目をつぶったまま駆け回りたい
クチナシでクリームケーキを作ってみたい
トイレットペーパーを一本丸ごとほどいてみたい
終わりのない長い物語に迷いこみたい
空のクジラに乗ってみたい
きみの家まで旅をしたい

秋のいちばん底をのぞいてみたい
地球のいちばん深いところの水を飲みたい
虹色の魚が欲しい
けしの花の形した 金魚鉢が欲しい
菊の花束を持ち歩きたい
地下道にそれを立てかけて
誰かが取りにくるのをじっと待っていたい

水鳥の足に触りたい
唇に 猫の耳をはさんでみたい
錆びた線路の粉をなめたい
エベレストホテルでコーヒーが飲みたい
二十年前の切符が欲しい
水牛のとなりで洗濯したい
冷めたチャイは飲みたくない
君の言葉をしいて 眠りたい

Kの文字だけ集めたい
封筒をひとつ残らず解体したい
「パリ北駅」を描いてみたい
鉛筆の芯をなめてぞくっとしたい
ドーバー海峡は渡りたくない
時間の奴隷はもう嫌だ
数寄屋橋交差点でちらし配りはしたくない
千円札はもういらない

ぼくは電柱になりたくない
ぼくは朝になりたいんだ
ぼくは電柱になんてなりたくない
ぼくは朝になりたいんだ

五日の月で目を洗いたい
からだをひっくり返して洗いたい
夜明けに大平洋まで歩いていって
河口に立って
陸地を背にして
海のほうを眺めてみたい
海のほうを眺めてみたい

ぼくは夜明けになりたい
十一月の朝
今世紀はじめの岬に立って
ぼくは夜明けになりたい
藍色の淵に向かって
光の束を投げ込みたい


※少々長いが、リズム感が好きで、この詩を朗読会の冒頭で読むことが何回もあった。こういう詩は、一気に書いてしまい、あまりいじくらない。最初の勢いをなるべく保存しておきたいからだ。
posted by Dah at 18:50| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏を悼む

降るようなとんぼの群れ
北向きの崖の下
ぼくらは水たまりにしゃがみこみ
お互いの井戸の中をのぞきこむ

魚たちは線となって ぼくらの影を水の中に織りこむ
水の記憶は はるか海まで連なる
夏と秋の間の居心地のいい陶皿のくぼみ

あなたが炎となって燃え上がると ぼくは碧玉に澄み
ぼくが炎となって燃え上がると あなたはひたすら深くなる

向かい合ったぼくらの間に 昇るひとすじの煙
チャンダンの薫りと 昏い石畳の重いイメージの残滓が
滝の音に混じり

空の奥からやってくる 鈴のイメージとともに
トンボの複眼のひとつひとつに
くだけ散る世界


※俳句はなかなか書けない。これは俳句の代わりに書いたようなものである。
posted by Dah at 18:47| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雨のち夕暮れ

広大な寂しさのまん中に
からだほうり出して眠る
言葉で風を紡ぐ詩人は
時の境界線を静かに移動中

植木の群れの中に熱帯の気配がこもる
異国の知らない木の下の
朽ちたベンチに刻まれた銘

ぼくのからだは蜜蝋となって
島のように記憶の大海に浮かんでいます
西風は藍色で
大陸へと逃げていく 夕焼けの尻尾を噛んでます

最後の閃きが群青の天蓋の中ほどに吸いこまれ
夜空にがらーんと乾いた鐘の音
暗い水平線に 台風の腕の集積が
石膏のようにくすんで見える


※"寂"は、宇宙的な静けさを表す感じがする。この字を使いたくて、それで書いてしまったような詩だ。
posted by Dah at 18:46| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マナグアからサンサルバドル

廃虚に舞う塵の中に
光るガラスのかけらみたいに
詩だけがそこに光っていた

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posted by Dah at 18:42| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

闇--音は門を開く

鳥の声を聞いた
黎明の底で 
眼は未だ何も見ない
神秘的な会話
それを私は扉ごしに聞いた
枕に耳を埋めながら
浅い覚醒の中で

その声は清流の囁きのように
眠気のとばりをすり抜けて
すぐ耳もとで鳴っていた
意識の眼は 
遠い異国の衣装をまとった
濃い色の肌をした違った物質〈もの〉でできた女性たちの一群を
石の広場の中に見ていた
肉体の眼は 明けゆく闇を見ていた
そして音は 
門を開いていった

深い井戸の底で 私はその音を聞いた
水脈が何処にか隠されているらしい
私ひとり分の小さな虚ろの中で
私はそれを聞いた
どこかに世界があるらしい
それはまだ覆われてはいるが
闇の裾を押し上げながら漏斗のように広がっていっているらしい

神秘的な会話
井戸の底面にスコップを立てながら
私はそれを聞く
符号は謎のままに鼓膜を震わせた
意味はまだ存在から漏れ出してはいない
長い詩が 尻尾の先をわずかに動かした
車輪は稼働への意志を
未だ接地面に伝えていない

鳥は継続的に鳴き交わしている
夜は明けていないのかもしれない
樹はもう立っているか?
景色は展開されたか?
音が門を開いていく
私はその無音の光景を視ている


※1998年ころ、雨戸から漏れてくる朝の光の夢うつつに、浮かんできた言葉を綴りあわせた。
posted by Dah at 18:38| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山の夜

その夜
天が割れ アンナプルナの蒼い幻
はるかに高く
満月の中心へと向かう

声無き歌
峯々の先で歌うはだれか?
紫の月の夜
透き通ったうす緑色の翼で
チベットへと越えていくのはだれか?

低い太鼓の音の尻尾を 山羊たちは 
石積みの小屋の中 うつらうつらと噛んでいる
ギザギザの稜線上で 男たちは
ロキシーの最後の一滴 谷底に垂らす

長い夜をひとつの物語にして
今日、道はゴレパニを越える
ここから時間は滝となり
岩棚の縁から滑り落ちる
四肢太く 毛足の長い馬たちが
石畳を音なく踏んで越えていく
ムスタンの崖の下チョルテンは
さらに冷え冷えと尖っている


※90年代の終りころ、ネパールに行ったときに沢山の詩を書いた。これはその中でも好きなもの。チョルテンは、石など自然物を積み上げたプリミティブな仏塔で、山の中などの道沿いに並んで立っている。
posted by Dah at 18:33| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プロトコル

どこからきたのですか?
海ですよ
うみ、ですか?
そう、海からです
1956年、父と母が出会った
ぼくはまだそこにいない

あの山のきわに、確かに見えたんだ
海の波頭が
ほら、見えないかい?
あそこだってば
君にどうしても近づけない

中学生たちが夜中自転車で走って
校舎の屋上でジャコビニ彗星群を見ようと
一本だけの望遠鏡に額をよせあつめていた
ほとんど観測されなかったという朝のニュースを聞いて眠った
夢のなかにたくさんの光の尻尾がまぎれこんできた
ビートルズが解散したとき、はじめてレットイットビーの歌詞を憶えた
骨が早くのびすぎてぼくは松葉杖をついて体育を見学する
1969年、校庭にはだれもいなかった

どこか蔵のようなところにいた気がする
座敷牢で育てられた女の子と仲がよかった
まわりの人はみな善良だった 病院だったから
地球は子宮で、伸縮自在の薄い皮膚のようなものでおおわれていた
太陽はおぼろで、天空の半分近くを占めていた
心臓の鼓動のように、ビルのてっぺんから槌を打つ音が聞こえていた
大きな鉄骨がゆっくりと空中を回転している
しかしそこを登ってゆくものはひとりもいない
世界は降りていくためにある

床に平らな絨毯のようなものが敷かれている
膝を折ってひとりの男が静かに茶を飲んでいる
さあ今だ今だという大合唱のなか
男は座ったまま、腰を浮かすことさえしない
窓から漏れる光が少しずつくすんでいく中

詩の神よ、ぼくにインスピレーションの恵みをください
頭のなかがゴミダメになってしまつているんです
次から次へと本を読みたおす
大脳新皮質の表面を羅列された数字がぞろぞろと行進していく
ひとつひとつ無意識の沼のなかへと身投げしながら
Y19・・

もういいかい
まだ、まだですよ、まだ出てきてはいけません
ふと起きると、妻が布団をひいている
もう朝かと思ったらじつは夜中だつたのだ
太陽はまだ地球の裏側にある

焼けたアスファルトにうずくまつていた
遠くから太鼓が聞こえる
ぼくらは黒ずんで干涸びた鳥の死骸をのぞきこんでいた
"Night Hawk" 彼女はそう言って羽毛を一本抜き、髪にさした
敢えて身命を惜しまずただ無上道をこそ惜しむべし
太鼓の音が遠ざかる
1992年の秋近く

Y2K
広ーいたらいのような器のなかに、一滴また一滴
やっとひとりきりになった
『ぼくはものを見ることを学びはじめたのだから、
まずなにか自分の仕事にかからねばならぬと思った。
ぼくは28才だ。それだのに、ぼくの28年間はほとんどからっぽなのだ』
ライナー・マリア・リルケ

ぼくの42年間を詩の一行のためにからっぽにすべし
ゼロに向かって歩むべし 
無慈悲と絶望の極点を見極めてから踵かえすべし
雨が降ると 海の匂いがする


            1995年ころ 自伝的に書いた詩。ジャコビニ彗星は、2005年10月に再びやってきて、その姿を見せてくれるはずだったが、残念ながらその日は雨だった。ここには旅の風景や夢の光景がたくさん含まれている。
posted by Dah at 18:29| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やもり

ハリドワールの河は胆汁のように濁り
眼光は萎えていく
座席のボルトが外れたバスで
脳味噌の芯まで麻痺させられて
二千年後の故郷へ
乾いた谷の内部に自分を幽閉に行く

ずっと昔ここに住んで
河辺で釣りをしたことがある
あの時の魚が
今では図書館の館長をやっている

寒気が去らない
ソーダを飲むといいと、いかさま野郎の言うとおり
イタリア製のリムカを日に十本
寒気をますますひどくする

谷の奥、リシケシ
誰もいない食堂で
冷えたスープを喉までつまらせ
独房のような湿ったベッドで枕を引っかく

コッケー、コッケー、クゥー

喉が裏返ってしまいそうだ
がさがさのコンクリートの壁をなぞりながらどしゃぶりのような排泄
牡蛎殻がこすれるようなこの音は自分の喉からやってくるのか?
いや、そんなはずはない

コッケー、コッケー、クゥー

もうすぐどこかに行くというのかい?
ラジブ・カンジーが暗殺された
ニューデリーの街角であいつらは何に向かって殴りかかっていったのか?
ぼくはホテルの窓からそれを陽炎のように眺めてた

コッケー、コッケー、クゥー

目の前の壁に黒ぶどうの眼をしたヤツがじーっととまっている
一晩中がさがさした壁をなぞりながらどしゃぶりのような排泄をくりかえす
膝頭に感覚はもうない
シーツを掴み、また壁をなぞりながら
黒ぶどうの眼をしたヤツの前にしゃがむ
ヤツは薄い羽衣かと見まごう靄のようなものをまとっている
それはもうひとつのそいつの肉体
一晩かかって肉体を脱ぎ捨てる絶望的な忍耐に、
ヤツの目玉は真っ黒な闇のようになり、つやつや光ってさえいるのだ

コッケー、コッケー

どこかで呼ぶのはヤツの仲間だったのか
もうすぐどこかへいくというのか

裸電球の下で
木の根っこのように寝転ぶ人々を見た
武器倉庫のような病院で
ぼくは買った注射器を凶器のように闇の中に突き出した
何かが固唾を飲んでいた

コッケー、コッケー、クゥー

もうすぐ夜が明ける
もうすぐ出かけなくては
ヤツは肉体から離れようとしている
羽衣は茶色にひからび始めた
新しい肉体が黄緑色に光って透けている


            1990年インドの旅にて
posted by Dah at 18:25| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月07日

山のホーリー祭

雲があっても山はあり
光がそこに照っている

雲があっても山はあり
光がそこに照っている

風は 山から谷へと吹き下る

山羊たちは 首をうなだれ引かれてく

しぶき上げる色の粉 手の平の中で

くすくす笑い おどけた喚声 すれ違う子供に用心

冬は白 春は赤 赤が染めていく石畳

崖にしがみつく岩石 石段の一歩一歩ごとの瞑想 

調子はずれの旋律が いつも森の方から聞こえてた

ときどきは雨が降り ときどきは雲が切れる

ここは糞街道 糞についていけば間違いはない

なつかしきは乾草 そして尿の匂い

ここまでようやく歩いてきて 空に白い月

最後の坂を登り切る そこから先はひとりだ


(7、8年前ネパールにて書いたもの)

※ "ホーリー"とは、ヒンドゥー教の春祭りである。この日は無礼講で、カーストという身分制度もなくなる。人々は街に、野に、山に、極彩色の色の粉や水を振りまき、春を過激に祝う。人も牛も犬も、この日は色で染められ、春の化身のように陽気にふるまう。しかしそれは狂気と紙一重でもある。多くの死者が出ることでも有名な祭りだ。ぼくは何度かこのホーリー祭を体験したが、山でのそれは、じつにのんびりした、無邪気な子供たちの遊びのようだった。
posted by Dah at 01:59| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あした

悲しみの丘 
暮れゆく空
植物には眠りが必要

たどりつくことも
出かけることもない
ここに生きる 
種まかれた地に

空に大きく眼差し広げ
星々を抱く 
風にからだを開く
記憶をさかのぼる 

かすかな水音
土から吸い上げる 
明日への光


(21世紀はじめ、畑にて)
posted by Dah at 01:49| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月05日

ソルトレークシティー

アメリカの地図をまっぷたつに折った左側のまん中よりちょっと上
ソルトレークはだだっ広くてすかすかの平地

ソルトレークは夏なお涼しく陽射しが強い
ソルトレークは冬期オリンピックがあったけれど、
夏に行っても白ちゃけた土の斜面が見えるだけ

ソルトレークの雷は遠くて鮮やか
ソルトレークの湖はしょっぱい水たまり
ソルトレークには蚊がいない
ソルトレークの鈴虫はリズムを同じに鳴いている
夕焼けは火事のように色濃い紅色

ソルトレークの半分はモルモン教徒
町にチリひとつ落ちていない
ソルトレークは車がないと暮らせない
大陸横断鉄道のレールはひっぺがされ
鉄道記念館跡にはこぎれいなショッピングモールがあるばかり

百万都市
ソルトレークの目抜き通りに黒人がいない
メキシコ人は木蔭で昼寝
コーケィジァンの乗り回すワゴンが、今じゃ埃もたてない駅馬車代わり

ソルトレークにうまいコーヒーショップはひとつだけ
ソルトレークに良心的な写真屋は開店休業
フィットネスクラブのインストラクターはラスベガスで夏期休暇中

ぼくは、ヘレン・ニアリングの本をようやく一冊見つけた
ぼくは、ティク・ナット・ハンの最新刊を買った
ぼくは、オレンジピール入りのはちみつと
それからコロラド渓谷への憧れを手に入れた

それらをみーんな持ってペワ湖に出かけ、
アンナプルナを眺めながらボートにゆられる夢を見た

でも、ソルトレークにはぼくのおばあちゃんが
毎日洗濯ものをたたんだり
相撲中継を観たり
娘が昔日本から送ってきた梅干しの残りで
お茶漬けをすすったりしながら
暮らしている
それが本当のところ

ソルトレークにはおばあちゃんがいて
思うだけで胸が拡がっていくような
七色の光を集めた夜景を過ごしたベランダの夜と
血を分けた親しい友たちとの日々がある

今だに住処を決めたとはいいがたいぼく
飛行機にはもう乗れそうにない96歳のおばあちゃんは
大好きな空の旅をなつかしそうに語ったものだ
帰り道、ジョージア・オキーフの空が、ユタ上空に広がっていた

その薄むらさきの雲のまん中を突っ切っていった
ぼくの持っていたものは
オレンジピール入りのはちみつと
使い忘れた三脚ばかり


             (2003.8)
posted by Dah at 01:19| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月02日

彼岸花のつなぐ道

彼岸花
暗い炎
遠い日

となりの集落まで続く
うねりながら消えてゆく
緋色明るき舞

黄泉から湧き出て
黄昏にそっと身を沈めてゆく
幼児期の記憶

名を呼べば消えてしまう
標なくただ胸に残された
聖地への道

川風が頭の上を通り越して吹く
白々とした石垣が
くっきりと輪郭をまとう日暮時

まっすぐに胸の奥まで
絹糸のような憧憬が
伝い降りてくる

駆けていこうにも
畦道の果ては
黒々とした山たちの領域だ

置いてきた家を想う
これから歩いて向かう家を想う

どこも彼岸花の道がつなぐ

彼岸花
暗い炎
遠い日

              (2003年秋)



posted by Dah at 23:16| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

千の朝(あした) 千の夕べ 千の朝、千の夕べ

今朝起きて はじめて歩む小道の
葉の朝露に 映る世界
掌にとる その天蓋は
小刻みに震えている
この一歩に久遠を計り
無量寿の虚空を旅する

静かな心で過ごした夕暮れ
明かりの残るうちに 草の畑に降りる
薄墨の日没
ブルーコーンの広い葉の影に寄り添う
亜麻の花の青
沈黙のフィールドに 降り立つ
明日からのあしおと

                 (2002初夏)
第3詩集「祈りのかたち」より
posted by Dah at 00:19| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヘッセの「夜の思い」から

いたるところで苦しんでいる同胞は君を待っているのだ
目を開け 認識せよ そして他の人々に
君の心を打ち明けるのだ! 貧しい人々に与えるパンを
君が持たぬなら 慰めと助言を持たぬなら
彼らに君自身を与えよ 君の苦しみを 君の困苦を
君と同じく心を開かぬ人々と話をせよ
そして言葉によって まなざしと身振りによって
愛を君の心に受け入れよ そうすれば年老いた忍耐強い大地と
父なる精神は 精神の意義と永遠の力を
君に開いてみせるだろう
君は混沌の中にふるさとを発見するだろう
そしてわけのわからない恐怖は 目に見え
耐えられ 解明できるものとなる そうすれば君は
君の地獄の縁のただ中で目を覚まし生き続けるだろう
posted by Dah at 00:17| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩集--2004年以前から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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