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2005年11月13日

聖地ティルヴァンナマライとアルナチャラ山訪問

アルナチャラ山 (ラマナアシュラムのホームページより)
aruna_39.jpg

 これは2001年の初夏に、エコロジー関係の会議参加のために渡印した際、休暇をとって南部タミルナドゥー州のティルヴァンナマライに二度目の訪問をした報告です。4年前にメールで配信したものに、若干手を加えました。

 じつは、今住んでいるここ鶴巻温泉の背後には、太古から聖山として拝されている"大山"があります。その山容が、アルナチャラ山にそっくりで、ひそかにぼくはここと彼の地とのつながりを感じているのです。

 またこの聖地で受け取ったことが、今の自分に再びもたらされていることのように感じ、読み返しながらここに掲載することにしました。


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(聖地へ向かう少し前の部分からはじまります)


「聖地ティルヴァンナマライへ」

 エコロジー会議では参加者中の半分がインドの人たちだったが、みな流暢に英語を操り、コミュニケーションに不自由はなく、世界情勢や地球温暖化やチャールス・チャップリンやスコッチウィスキーの話をしてもすぐに通じる。

 そういう意味では会議を世界のどこでやろうが、メンバーはみな「世界標準」を身につけたものどうしだから、どうも異国情緒というのは薄くなってしまう。

 情報の流通がいい点ももちろんある。会議が終わってオーガナイザーのシッダルダ氏の大邸宅で過ごした一夜、地元の平和運動家の女性二人が、広島原爆投下の日を劇にしたものを演じてくれた。

 手製の着物めいた服や日本の背景画やしぐさが、見事にインド化されていて微笑ましい。内容はもシリアスで、彼女たちの広島への理解を深く感じさせるものだった。ぼくは去年の暮れ、平和巡礼に参加して広島まで歩いたばかりだったから、広島をめぐる話がずいぶんと弾んだ。

 平和運動や環境保護運動というものは、インドではマイナーな存在で、当事者以外の一般人の理解を得ることはなかなか難しいという。まだまだ資本や政治力のほうが強大で、まともな理屈が通りにくい社会なのだ。

 それでも国の政策や多くの国民の支持に対立する、原爆実験中止の運動に携わる人々の思いは強く熱心だ。実際に問題が起こってもすぐに握りつぶされてしまう体制の中で、まともな信念を持ち続ける人たちがいなくなってしまったら、まさに暗黒社会だろう。

 翌朝リュックを背負い直し、リクシャーをつかまえてバスターミナルに向かうと、そこから先はもう、変な言い方だが、本来のふつうのインドが待っている。何を尋ねるにも英語の通じそうなインテリふうの人を探すか、身振りでなんとか努力するかしかない。

 砂煙舞う広場には、あっちこっちに傾いたおもちゃのように滑稽なバスがふきだまっていた。長距離のターミナルなのでよそ行きのおしゃれをしている人が多く、色鮮やかなサリーがあちこちに固まって見える。

 うす暗いコンクリートのホールで、ふらんふらんと熱した空気をかき回すだけの役に立たない取り付け型せんぷう機の下で、一皿二十五円、おかわり自由のカレー定食(ミールス)を指で夢中でかきこむ。そのあと飲んだスプライトが同じく一本二十五円だ。暑いとやっぱりこうした輸入ものに走ってしまう。子供のころコーラがはやって、やたらに速飲み競争をしたものだ。

 チケット売場の係員につり銭をだまされたが、今回は気持ちに余裕がある。かっかともしないでそのままお布施にした。バスの運賃は信じがたいほど安く、バンガロールからめざすティルヴァンナマライまで五時間も乗って百五十円以下は、地元の人にとっても利用しやすい料金だ。

 目的のバスを何度も何度も違った人に聞いて確かめ、ぎゅうぎゅう詰めの座席に身体をねじ込む。どこに行っても、定員より多く人が座っている。詰め込めるだけ詰めたほうがむだがないと言えば言えるが、断りもせずにどんどん押してくるし、もうこうなると誰が予約をしていようがまったく関係ない。「今ここで必要なことだけ」が、まかり通るのだ。予約なんて・・・。

 こうして、肌の色が濃い褐色で小柄なまったく見慣れない風貌の人たちに挟まれ、ぎゅぎゅう詰めのバスは東のタミール・ナドゥ州へと向かう。かつて北部で片言ながら憶えたヒンディー語が、ここ南部ではほとんど通じない。

 真っ黒な顔の真ん中にきらきら光る眼が、たったひとりの外国人をめずらしそうに眺めている。女たちは、編み上げた長い黒髪に、熱帯の薫りの強い花をさしている。バスは乾き切った岩ばかりの平原を砂ぼこりをけたてて走る。どこにも隠れるほどの木陰は見当らない。


 五時間も乗り続ける長距離バスの埃っぽい座席に腰掛けて、誰一人言葉を交わせる相手はなく、本を読めるほどのクッションも期待できず、ただひたすら熱気に包まれてぼーっと過ごすしかない。窓の外は異国の幻、うつろなまどろみから醒めてうっすらと目を開ければ、まだ同じ景色がえんえんとつづく。

 それでもとうとう目指す町ティルヴァンナマライの聖山アルナチャラが見えてきた。十年前ここを訪ねたときには、ついに自分の聖地に出会えたと心の深いところが振動した。見覚えのあるその山影が近づくにつれて、さすがに気持ちが浮き立つのを感じたが、今度は何かが違う。バスの走りも心無しかゆったりとしたままだ。そのとき確かな了解がぼくの胸に降りた。

 「あなたの聖地はあなた自身なのだ」
 これが今回の旅で得た言葉だった。この十年、日本に帰って住みはじめてからというもの、紆余曲折続きであったものの、地に足をつけ日本の居住者となるべくいろいろな試みを重ねてきた。今回、たまたま恵まれてインドに四度目の訪問をして、その特権を生かしかつてのなじみの地を訪れたのだが、道をたどりながら得た答えはやはり、旅とは自分をめざして歩むものだということだった。

 そうわかってバスの中を見渡してみると、どの人も、自分自身の聖地なのだ。まわりのひとりひとりが輝きだし、ほの暗い車中が華やいで見えた。その存在の美しさがありがたくて、涙が出るほどであった。

 そうしてみれば、聖地もかえってなつかしい故郷のように感じられる。そこには長く会っていない知り合いもいる。ようやくバスが加速し出したように感じられた。

 終点のターミナルはペンキでコーラのロゴが書きなぐられていて、人でごった返し、以前よりもはるかに騒々しくなっていた。バスは激しい渋滞の中をかき分け、大きく体を揺すって止まった。

 すぐにオート・リクシャー(簡易タクシー)の運転手が英語で話しかけてくるのには驚いた。かつての田舎町ティルヴァンナマライでは、どれもなかったことだったから。道にあふれる人々、車、牛、バイク、自転車、ホコリと騒音と排気ガス。クラクションが絶えまなく響く。

 短期間の急変を、地元の人はどう受けとめているのだろう。物価は確実にニ倍以上、田舎であるほど環境の悪化は目に見えて惨澹たるものだ。ターミナルからリクシャーにのって2、3キロで目指す「シュリラマナシュラマム(ラマナ・マハリシの寺院兼道場)」に着く。その間の田舎道もすっかり商店に埋めつくされた感がある。

 しかし一歩アシュラム(道場のこと)の中に入ると、かつてと変わらぬ熱帯の豊かな林に囲まれた静寂が迎えてくれた。門を入ってすぐに履物を脱ぎ、神聖な境内は裸足になる。多くの人が白い布をまとって、ゆったりと歩いている。

 「ラマナ・マハリシ」は、20世紀の前半南インドに存在した聖者である。日本には、先日亡くなったぼくの古い友人である山尾三省氏がその訳書を通じて紹介している。その本を手にとったぼくは、この実直でユーモアにあふれたヨギ(修行者)に魅せられた。

 ラマナは十代という極めて若い日に成道をとげた後、このアルナチャラ山中の洞くつに16年もこもって孤独な修行に没頭した。さらに7年を弟子たちとともに山腹で過ごしたあと請われて今の場所に住み、道場で瞑想と指導の日々を送る。詳しくは「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社を読んでほしい。

 沈黙の聖者と呼ばれるほど、沈黙の深さを重んじた。そしてなにより笑顔がすてきなのだ。慈愛をそのまま顔にかたどったようなその笑顔。

 境内は静かだ。野性の猿や孔雀が闊歩している。熱帯の花が咲き、気根が垂れ、清楚な楽園のようであるといっていい。

 アシュラムはどこも昔のままでなつかしく、以前泊まった部屋の扉もそのままで、あちこち見て歩く。清潔なシャワーつきシングルルームをあてがわれ、べたつく汗を洗い流して白い衣に着替え、ラマナの寝室だった瞑想室で坐る。

 時間がどんどんゆっくりとなり、夕方着いたのになかなか一日が終わらない。ベッドの中まで孔雀の声、長距離トラックの音がついてくる。暑くて窓を開け放ち、ファンを一晩中つけて寝た。

 六時半にラマナが埋葬されたあとに建てられた寺院の廟のまわりを右回りに歩く。大理石の床が裸足にひんやりと心地よい。温かいバターミルクを手のひらに注いでもらい、それをいただいてから食堂に入る。朝食はバナナの葉をレンガの床に並べ、そこにインドの蒸しパンをのせカレーソースを注いで指でむしりながら食べる。

 アシュラムの裏門を出るとすぐに石畳の山道に入る。植林プログラムが役にたって、荒れた岩だらけの山肌は今では涼やかな木陰ができるまでになっている。隣部屋だったオーストラリア人のジョン・バットンたちが働いてくれたおかげだ。今彼は、再婚したあと子供も生まれてドイツで幸せに暮らしていると聞いた。

 このアルナチャラ山全体も聖地だからと、少々無理して裸足で焼け付く山腹を登っていく。ラマナが弟子たちと7年住んだ「スカンダ・アシュラム」は、今はマンゴー林に囲まれ湧き水がしみ出して、洞くつの中は涼しい。ベランダからは、街全体がよく眺められ、巨大な寺院「アルナチャラシュヴァラ」の全景が手にとるように近い。山のあちこちで瞑想する。どこでもまるで広く豊かなヴェールに包まれているように感じた。

 こうして木綿の布だけを身にまとい、裸足で岩上を渡り歩いていると、自分が一匹のけだものになり野性に戻っていく。身体がしなやかに動きだし、足裏が正確に地面のでこぼこを捉えるようになる。今までほんの狭い範囲で生きてきたのが、じつははるかに広大な世界が存在することが、裸足の足元から体感される。

 人間はおおよそ思考することに忙しく、その他の多くの感覚が退化してしまったといわれて久しい。裸足で歩いてみることだ。眠っていた感覚が内側から再生し、目が開き、耳がとぎすまされ、味覚嗅覚が蘇り、全身の皮膚感覚がざわめきたつのが感じられてくる。もう一度人はにんげんという名のけだものとなる。
 
 夕方、ふと山頂を目指すことにした。明らかに時間的に遅かったが、思い立つとすぐに体が動く。水をボトルにつめ、裏門から早足でぐんぐん登っていく。止めたほうがいいよという人に道順だけ聞き、白ペンキで書かれた矢印を頼りに、やがて岩にへばりつくようにして進む。

 イバラや山シバが裸足にすれて仕方ない。先に登っていたインドの人たちを追いこし、ついにひとりで山頂に近づくころには、陽が雲に入って陰り、登ってきた東斜面はすっかり影になっていた。

 山頂は巨大な一枚岩だった。儀式で燃やす火に注ぐバターで黒くべたべたしている。その岩のまん中に、ひれ伏して礼拝している半裸のサドゥー(遊行僧)がいた。彼がうわさに聞いた、7年間ここに住み続け沈黙を守っているという人物だ。体中真っ黒だが、目は穏やかでほほえんでいる。手まねで呼び寄せられ、土の器の中の泥臭いチャイ(スパイスミルクティー)をいただいた。お布施は受け取らなかった。

 そのままたったふたり、山頂にて半時間ほど瞑想していた。風は強く、三百六十度青く平野がかすんで見渡せる。町のクラクションはここまで聞こえてくるが、俗の匂いの一切しない聖山のてっぺんで、何の縁かこの人と坐っている。もちろん一言も話すことはしない。何のための修行なのだろう。またぼくもなぜこの山頂に来たのだろう。十年前には登ることさえ考えなかった。ここが旅の折り返し点と感じた。ここからもと来た道を引き返す。

 駆けるように降りてくる途中で山全体が赤紫に染まり、突然夜に包まれたことに気づいた。はるか下の町の灯り以外に目印はなく、体中引っ掻き傷と打撲と汗だらけになり、町に降りついた時にはとっぷりと日が暮れていた。空には四日月のシヴァムーン。鈍いオレンジ色をしている。
 
 この聖山の裾の約14キロを裸足でめぐる巡礼は「ギリプラダクシュナ」と呼ばれ、古代からえんえんと人々の間で受け継がれてきた。まだ暗い早朝、アシュラムの門を出てひたすら黙想のうちに田舎の並木道をすたすたと歩いていく。

 木々のざわめきとひんやりする風は、やがて動物の鳴き声鳥の声、そして車の音や人の話声にとってかわる。途中のいくつもの祠にお参りし、聖山を右手に見てその変化を愛でながらやがてティルヴァンナマライの町からアシュラムへと戻ってくる。

 十年前にここでお会いして以来、ずっと当地に住んでいる日本人女性菊地さんに、今回やっと会うことができた。彼女と最後の日の早朝、もう一度ギリプラダクシュナをする。約3時間の行程は、ほとんど十年を埋めていくように思い出話しばかりに花が咲いて、沈黙とはほど遠いがなつかしい道連れの歩みだった。

<後日談>

 バンガロールではついにサンジェナに会えなかった。ぼくの詩をすごく気に入ってくれて、英語に訳すきっかけを与えてくれた人だ。再会の約束をしていたのに、ぼくはひどくがっかりとして、ホテルのカウンターに預けられていた置き手紙を飛行機の中で何度も読み返した。

 インドから受け取るばかりだったこれまでの旅だったが、これからは何かが違ってくると思う。ぼくは自分に自信がなくて、外に支えを求めてきたのかもしれない。本当に大切なものは、今ここ、自分自身にある。すてきなプレゼントをみんなぼくのために用意してくれていたけれど、今度はぼくから、何かすてきなものを差し出せるのではないかと思う。


posted by Dah at 23:52| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ 旅の物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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