病気は本来苦しい。ただ、病気という形でしか、ストレスから退避できなかったり、排毒できなかったり、自己表現できなかったり、死を回避することが不可能だったりすることはある。
また死への過程である病気もある。(それはふつうの病気と少し違って、死を段階的に受け入れていく死への準備の一形態だが)。
そういうものはブッダの言う、人間が避けることのできない生老病死のひとつである病だ。健全な形で経過させれば、あるべきところに導かれるような生命の営みのひとつだと思う。
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しかしそれと違って、避けられるのにわざわざ病気になったり長引かせたりする病がある。それにも、ねじくれてはいるが理由--自分では意識されない理由がある。
ぼくが経験したうつ病でも、「人の同情が買える、現実逃避できる、悲劇の主人公になれる、それっぽい詩が書ける、マイノリティーという特権意識が持てる、自殺するにも正当な理由になる、薬でラリることができる」など、、、振り返れば数え切れないほどの、隠された延長理由があった。
もちろん精神病院に入院し、社会生活にも人間関係にも適応できずに、若い年月を徒に過ごすのは苦しかった。その一方で、なかなかうつ(躁鬱)が治癒しなかったのは、病院では三食昼寝つきで、病気を理解してくれる職員や仲間がいるよさもあったからだ。
外に出れば、当時(80年代初め)精神病への福祉的サポートや世間の理解は皆無に近く、社会の風は身を切るように冷たかった。そこで、また病院に逆戻り。いわゆるホスピタリズム(病院大好き)が抜けず、実家に帰ってからも引きこもりの繭の中にいた。
不思議なことに、記録を見ないと20代の出来事はほとんど思い出せない。ぼくはそのころ、回復とは逆の負の方向--内へ内へと逃避していた気がする。それでしか自分を守れなかったことに、なんとも切ないものを感じる。ぼくは病気を唯一の自分の聖域にして、世間から自分を守っていた。
そこでは、世間的な価値尺度はすべて悪だ。たとえば、健康、富、社会的成功、社交性など。父親は、社会的にも活躍し尊敬を集めていた人だったが、ぼくはそれに反発して、ことごとくその逆を行った。つまり病気で、貧乏で、社会的に狭く生き、似た仲間だけで集まる。そうして自分を守り続けていた。
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そういう状態にいると、ぼくだけではなくて、同類の仲間が多くいることに気づく。「いつまでも幸福になりたがらない人たち」。その背景には、自分は幸福に値しないという、すねた気持ちがある。こんなに苦しいんだから、そう簡単に楽になっては困る、ともいえるかも。
「病気で、貧乏で、社会的に狭く生き、似た仲間だけで集まる」こと自体は、悪いわけでもなんでもない。それが最高だ! と言わずとも、まあいいや、くらいに思えれば外的条件とは無関係に楽なのだけれど、ぼくの心の底には、そういう自分を惨めと思って受け入れられない、なんて不幸なんだという自虐と世界への怨念があった。
治りたい、豊かになりたい、人とうまくやりたいと願ってもそれが実現しないのは、自分が今のままの自分(病気、貧乏、孤独など)を受け入れられないからだろう。そして、こんなはずは無い、本当の自分はもっと〜のはずだ、というすり替えをしようとするから、様々な手段を講じて自分のプライドを守り、人の注目を集めようとしていた。
じつは、「病気、貧乏、孤独」=惨めと、いちばん思い込んでいたのは、他ならない自分なのだ。そうした事実から目を背けようと、同情や、現実逃避や、特権意識や、自殺衝動さえ使って、アイデンティティーを保ち、人を操作しようとする。
そういう「二次利得」的作為は、自己保存の必死のあがきには違いないのだが、そんな苦しい糊塗などしなくても、「自分はこれが現状です、病気苦しいです、貧乏嫌です、友達欲しいです」と言えれば、言っただけでずいぶん楽になり、惨めではなくなっていくはずだ。
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いいカッコしいでは、いつまでもこの作為は止められない。いつまでも、病気や苦境を利用した現実操作が止められない。カッコ悪いままでいいじゃない、ありのままで生きていくという開き直りが必要だ。そうすれば、二次利得は得でも何でもない、自滅的であることがわかるはずだ。
病気を使わなくても人には好かれるし、欠けたままでも自分は愛されているとわかれば、ずいぶん楽になって、次に進めると思う。次といってもとりわけ変った事はないかもしれない。病気で、貧乏で、友達少ないかもしれない。
でも、世界がまったく違って見えてくることは確かだ。そのままの自分でも、初期設定を幸せにしてしまえば周りがついてくると今は思っている。
最近「だめだめの日もあるさ、だめだめを楽しもう」という曲を作って、仲間とバンドで練習している。これは、力の抜けきった歌で、歌っていて笑ってしまう。全然向上心のないゆるんだ歌だ。詳しくは言わないけど、SDBのデビューはもうすぐ。
(精神科、各種施設などの巡回を予定しています)
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**二次利得(にじりとく)
問題があることによって本人の生活にもたらされる利点のこと。
たとえば周囲の同情、難題の回避など。本当は利点でもなんでもない。
写真を一枚送らせていただいた、風変わりな女子です。
島田さんの記憶に残っているか不安なところですが。
この日記はすごくためになりました。
私が勤めている通所施設に通っているメンバーの多くが思っていることだと感じました。
今私は仕事で行き詰まっていますが、こういう内容を読むと、とても視野が広がります。
霧の中手探りで探しているメンバーさんの姿を鮮明に見たような気がして。
ありがとうございました。
読んでくださっているとは、感激です。
日常で感じたことをまた書いていきますので、よろしくね。
離れているけど、やっぱり似たような苦労はあるものですね。