今日友人と話していて、かつてのぼくはずっとこれだったなと改めて振り返ることがあった。
長年病気を抱えていると、ともすると病気依存みたいなものが生まれて、病気を待たない自分が考えられなくなる。それはちょっと病人でなくてはわからない特殊な心理のように思われがちだが、考えてみると多くの人にも少しは覚えがあることだろう。
風邪をひく。風邪の症状自体はつらいが、それが治まってくると、ぬくぬくした寝床が心地よくて、ああこうしていたいなぁ、明日も学校を休んでしまいたい、母親も優しくしてくれるし、何しろふだんは食べられないバナナやりんごのすりおろしが食べられる(時代が古いか・・・)、という形で、病気という状態に適応する。
病人の存在は、回りにけっこうなインパクトをもたらす。回りは気を遣って、まぁ、病気だから仕方がないか、ゆっくり休めよ、たまには休養も必要だ、という。自分自身も病気だからと言い訳ができるし、甘えられる。なかには病気を使って、人を操り出すけしからぬ輩も存在する。かつてのぼくである。
これを二次利得と呼び、病気のおかげでかえって得をするので、なかなか病気が止められないという現象として、医学・心理学的にも定義されている。ぼくはこの定義どおりに、具体的には「今は躁状態、今はうつ状態」<だから>、ラリってるとか、やる気がないなどとのたまわり、躁うつ病者の特権に胡坐をかいていた。まことに不健全なことである。
精神病だけではない。他の病気でも、または経済的苦境や人間関係の問題、人生の諸々の悩みについても、この二次利得は存在する。つまり、スッキリサッパリ清々とした気持ちで生きるより、何がしか問題を抱えて苦労しているほうが生きた心地がするし、何かと便利ということだ。
なんとひねくれた発想だと思えるかもしれない。ところが多くの人が、じつは、スッキリサッパリ清々と幸福になるよりも、「ちょっと不幸」くらいがちょうどいい、と考えているとしか思えないのである。さて、これはどうしたことか?
もういい加減眠いので、本稿の続きはまた明日に譲って寝ます。


