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2005年10月06日

中米に渡った広島の火(その1)

*2001年~2002年にかけて書いたもの* ((3回シリーズ))

<10年ぶりの中米再訪)

 21世紀はいろいろな意味でグローバリズムの世紀であることを強く感じさせられるニュースが連日手元に届く。それが9月11日以来、ありがたくないことにいよいよ戦争という色合いをはっきりと帯びて、目の前に突き出されてきた。

 ブッシュ大統領は「来年は戦争の一年になる」(註:これを書いた2001年時点)と宣言し、アフガニスタンへの戦争をさらに世界各地へと拡大しようとの意志を見せている。このところのアメリカの一連の動きを含めてこのような空恐ろしい発言を聞くと、テロ事件をきっかけに、あとのすべてはアメリカによってうまく仕組まれ、まわりはそれに踊らされているという感想をますます強く抱かざるをえない。

 今日24日、クリスマスイブを迎えようとしている朝に、92年度のノーベル平和賞受賞者グァテマラのリゴベルタ・メンチュー女史のコメントが配信されてきた。

 ---いまテロという言葉が深く考えられないままあふれていますが、テロにはさま
ざまなタイプがあり、きちんと定義する必要があります。中南米諸国で横行したのは、
私たちが現在、法の裁きをすすめようとしている国家によるテロでした。

 私の国のグアテマラでは、軍や私兵集団に20万人が殺されました。まさに国家に
よるテロでした。チリはピノチェトのクーデターでテロ国家になりました。

 こうした国家テロを支援してきたのが米国です。他国のテロに関与してきた国に、国際テロを裁き、根絶することが可能でしょうか。信用できません。

 一つの国や大国が裁判官になることはできず、国際法にもとづく法の裁きこそが必
要です(抜粋)---

 92年5月、平和賞受賞の直前に、ぼくはメキシコ・シティーで彼女に会う機会に恵まれた。あるピースウォークの一員としてである。そのころぼくは、婚約者がイギリスで出家して人生の何度めかの大転回を迎えようとしていた。

「女に逃げられるわでお前ももう人生先がないんだから、少しは巡礼でもして世の中の役に立ったらどうだ」という無責任な坊さんの言葉にのせられて、ぼくはパナマからワシントンまで7500キロを10ヶ月かけて歩くというとんでもない企画に加わってしまった。

 タイトルを「平和と生命のための諸宗教合同巡礼」というコロンブス500年を記念して行われたそのピースウォーク(1991.12.10--1992.10.12)は、ヨーロッパ人による大陸侵略を祝うような風潮にはっきりとノーを言い、支配を受けた先住民の側からなおも抑圧を受けている現状をレポートし、真の平和を祈り現実的な連体を計ろうというものだった。

 そこで歩いたパナマ、コスタリカ、ニカラグァ、エルサルバドル、ホンジュラス、グァテマラ、メキシコといった中米の国々の歴史と現状は、ヨーロッパから受け継いだアメリカの支配と抑圧の500年だった。

 上のメンチュー女史の発言は、被支配層であるグァテマラ先住民としてのそうした体験からきている。ぼくらは毎日あちらの村こちらの町と泊めてもらいながら、当事者からじかに殺戮と暴力の歴史と現状を聞かされた。それは爆弾が落ちてくる空を見上げて生きる側からの話である。

 とくにエルサルバドル入国は、停戦協定が発効し内戦がようやく一段落した直後のことで、国土の荒廃と人々の疲れ果てた表情は隠すべくもなく、爆撃で崩れ落ちた壁のもとにハンモックをつって眠れない夜を過ごしたりもした。

 中米諸国はあたかも絨毯爆撃のごとく、内戦による国家秩序の破壊、その後の米国によるコントロールという道をたどった。それは当時のソ連との陣取り合戦であった。国内の対抗勢力をぶつからせるという内戦の仕掛人はCIAであり、そこにアメリカの死の商人たちが群がって武器を送り込み、軍隊が駐留し、白地図はアメリカの色で染められていった。

 同じような例は枚挙に暇がない。アメリカはつねに世界のあちこちで同様なふるまいをしてきた。かつての冷戦時代にはソビエトという国を悪に仕立てることによって、そしてソ連崩壊後は自らの一極支配をますます堅固なものにするべく。

 B-52に爆撃を受けつづけてきた貧しい国の誰かが、B-767を乗っ取ることで報復をしようというその理屈はわかる。もちろん理屈以外のすべては受け入れられないが。

<突然のメキシコ行きのニュース>

 9月11日以降、ぼくは病院に勤めはじめて新しい仕事になじもうと懸命だった。それは何より自分の心の病いにとっては決定的に重要な転機だった。発病し、精神病院で過ごした二年間からすでに20余年。それでも一生もののこの病気とつき合っていくことはなかなか大変だ。病気の波にうまく乗っていく、病気をうまくなだめてできればその御相伴にあづかってしまおうと腹を決めたぼくは、大胆にも患者から治療者への転身をはかってまんまとそのとおりになった。

 だから、このたびのテロリズムに対しての動きには、少し引きぎみにしていたのである。そんなある日、突然去年の広島の火のウォーク(くわしくは以前のレポートを読まれたし)の仲間から電話があってメキシコに行ってほしいという。それには君しかいないと、また例の(断れないぼくをしっている)巧妙な殺し文句である。そればかりではなく、他の筋からも同様の要請の電話があった。

 でも、今回は花の勤め人だもんねー。そんなに長い休みがとれるわけはないじゃないか。病棟のクリスマス会もある。アメイジング・グレースのバリトンのパートも憶えたばかりなんだぞ、おい。

 上司に、無理難題を言ってくるやつがいて困ってるんですよ、この年末の忙しい時にねぇというと、そうか、なかなかいい話じゃないか、行ってくればいいよあとはなんとかなるからッてんで、とんとん拍子に話が進んでしまった。もう、課長ったらなんで断ってくれないの・・・。

 その夜、うちに泊まりにきたその仲間と、さっそく計画をすすめることになった。あとは無抵抗非暴力主義である。なすがまま・・。ほとんど夢にも考えなかったという状態から、今回の計画を現実化していくことになる。11月27日のこと。日本を発つまであとわずかに11日。それまでに目処をつけておかねばならない。

 今回の計画の中心になっている火自体は、すでにもう日本を離れて大平洋上を移動していた。

<広島原爆の火>

 ぼくにとってはゼロからはじまった今回の話である。しかし、「広島原爆の火」とは去年から縁ができていた。

 山本さんという青年兵士が広島に落ちた原爆の火を採取して自宅に持ち帰ってから六十年近く、今も福岡県の星野村にその火はあかあかと燃え、平和の祈りの中心にある。

 去年その火を掲げて東京から広島まで歩くというピースウォークにぼくは参加した。そのウォークの中心的な存在だったアメリカインディアンのドム・ダストゥが、今度は火の故郷である(原爆のウラニュウムを採掘した)アメリカで火を掲げてピースウォークをしたいという。

 それに乗った仲間たちが、今回の計画をすすめていた。そうするうちに9月のテロ事件があり、アメリカは大きく戦争へと傾いていく。偶然のこととはいえ、ピースウォークを行うことがますます危急のものとなってきた。

 火は海路で11月24日に神戸港を出発、(SOGAという名のパナマ船籍の船、韓国人の船長)ハワイへと向かう。12月8日、現地時間で12月7日パールハーバーの日に、火を中心にして当のパールハーバーで平和式典が行われた。その後火は再乗船し、メキシコ西海岸の国際貿易港マンサニージョに11日到着という予定になっていた。

 ぼくの役割はメキシコに渡って港で火を受け取り、陸路で北上し国境を超えてアメリカに入国、無事にロス・アンゼルスまで届けるということだった。そのためには英語とスペイン語ができること、メキシコの土地カンがあること、火の取扱いを知っていて実際に火に関わったことがあることなどが必用条件だった。

 ぼくはとにかくかろうじてでもその条件にあてはまる数少ないひとりだったのだ。この役割をさけることはすでにしようとしてもできない状態に追い込まれていた。ということは進んで引き受けるしか道は残されていないのだった。

 それにしても準備に時間が足りない。火のメキシコへの入国の手続きがまったく進んでいない。陸路をどう輸送するか、この微妙な時期に火を携えてのアメリカ入国はできるのか。不確定な要素が多く、しかし途方にくれてばかりもいられず、さっそくぼくは日本、メキシコ、アメリカと連絡をとりながら準備をすすめた。

 昼間は病院のロビーから、夜はうちのコンピューターの前に座って、英語、スペイン語、日本語での頻繁なやりとりがはじまった。
                        
 そうしてパールハーバーの日、12月8日にぼくは成田を発った。そのころハワイでは、火を中心にした式典が行われていたはずだ。すでに多くの祈りが今回のメキシコ行きには集まっていた。そうした思いに支えられて、何が起こるか未だにわからないながら、心中は自分でも驚くほど平静だった。


posted by Dah at 00:25| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ 旅の物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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