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2007年09月16日

ディクシャで変化してきたこと--この一年

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ディクシャというインドのエネルギーワークを、連れ合いがインドで習ってきてから、半年ほどたつ。ディクシャとの出会いは、去年夏に海老名でSさんから受けたことに始まっている。それからもう一年だ。(ディクシャは、聖なるエネルギーによる祝福とぼくはとらえている。それ自体決して新しいものではなく、インドでは古来より覚者によって行われてきた。しかし現代のディクシャの働きは、インドを超えて広く世界に伝わっている)

ぼくなりの体験からディクシャを振り返ってみると、この一年でうつの波がかなりゆるくなったこと、象徴的な夢をよくみるようになったこと、激しい孤立感をほとんど感じなくなったこと(これは症状の改善とも関係があるが)、飲酒の習慣がなくなり飲んだとしても一杯で十分(ストレスの扱い方が変わった)、自分の感情に敏感になると同時にそれに振り回されなくなってきたこと、胸の中心がざわついた感じから温かい感じへ変わったことなど。

ディクシャは完全に受身である。ものを受け取るときには、何であっても受身であるほどよいといえるかもしれない。ただ手を頭に置かれて、じっと注がれるあたたかく全身を浸すような流れに身を任せている。

任せれば任せるほど、その心地よさに「自分」という緊張が解かれていくようだ。去年初めて受けたとき、ぼくはこんな風に書いているが、その感じは基本的に今でも変わらない。

<究極のリラクゼーション。かかっているインド音楽がとてもなつかしく響き、子供のころの最高の至福感が戻ってくる。かすかな頭痛。覚めているのか、夢に入っているのかわからないボーダーライン状態がえんえんと続き、感覚だけが漂って思考は止まっている>

ディクシャの働きについては、いまだによく理解できていないが(脳のある部位の活性化に関係があるという)、今までの自分の体験、そして多くの人たちの体験を合わせると、自分自身やすべての存在との一体感を取り戻すというOnenessへの方向づけが実感される。

「人々は、家族の中でも孤独で、親子関係にも夫婦関係にも分離があり、自然や動物、植物とのつながりもないまま、あらゆるものに対して自分が部外者のような状態です。絆を感じることこそが、大きな喜びなのです。ですからこの運動をワンネス(一体感)運動と呼んでいます」

ディクシャを時代の意識を高めるために広めはじめた、現代のインドの覚者 “カルキ・バガヴァン” の言葉だが、苦しみの起源をよく言い表していると思う。

うつも人間関係からの孤立として精神的・社会的に苦しみを味わう、典型的な病気だ。個人の病というより、社会の病みが個人を通じて表現されているといったほうがいいかもしれない。そのつながりを取り戻すことで、個人も社会も癒されていくのではないだろうか。

つながりの回復と感情の表現とは密接に関係している。言葉が本音を語らなくても、感情は、「魂の言葉」といわれるほど、自分の正直な気持ちと直接結びついている。感情を抑圧するとさまざまな弊害がある。自分の本音が自分でもわからなくなり(自分との切断)、人との関係がとりにくくなる(他者との切断)。

ぼくはそれを表すことがずっと苦手で、典型的な感情の病(うつ)にもなったわけだが、自分と他者とのつながりの実感、感情を感じることが症状の改善になったことが、こう考えるとよく理解できる。

このごろ毎日のように見る夢では、家を燃やしてしまう、一面の景色が燃えている、というものが印象的だ。まるで怒りがそこに最大限に表現されているように。

朝起きると憶えているかぎり夢日記をつけるようにしているが、こういう夢のあとは、気持ちがさっぱりとする。夢の中であれ、感情を解放できたからだろうか? 現実にはまだまだ感情豊かというところまではいかないが、抑圧して苦しくなるということはなくなってきた。

飲酒習慣の変化は、同じく抑圧と関係があるはずだ。とくに一人で飲みたくなってきたとき、自分の心を観察すると、そこに寂しさや怒りや退屈のわだかまりがあることが多い。

飲めば一気にそれらの感情は酔いに飲み込まれてあいまいになるか、歪んで別のものになってしまうのだが、代わりにその瞬間のありのままの自分の心も歪んで見えなくなってしまう。一時的な安楽は感じられても、同じ感情はまた何度も戻ってくるのである。そしてまた飲む、酔う、忘れる、戻ってくる。。。この繰り返しが最近ほどけて、楽になってきている。

ディクシャを受けはじめた初期には、かなり激しい反応もあった。たとえば、そのころこんな風に書いている。

<闇があふれ出してきて、しょうがない。腕が勝手にぶんぶん動いたり、身体が痙攣したり、何かあると急に泣く。今朝なんか、カレーがうまいと言って泣いた。うれしいのか悲しいのかわからない。混合状態。これって医者が見れば薬を飲めと確実に言われそうな混乱。でも、、意識はどこか覚めている>

<身体の中が世界地図みたいになっているのがわかる。マリアナ海溝とか、エベレストとか、マヤの遺跡とか、ナイル河とかがある。 そういう状態が、こんなにありあり感じられるのははじめてだ。これはある種とてもオープン。いろんなものがあらわになって、目に見える形で動きだしている。当分、こんな自分とつきあうことになりそうだし、身近な人もそれにつきあわせることになる。日常が変わらざるを得ないだろう>

現在ディクシャの反応ははるかに穏やかなものになったが、つい三日ほど前に訪れたはっきりとした「過去への肯定感」は、ぼくをまた一歩前へと押し出したと思う。この一年間で日常は公私ともに大きく変わった。なにより精神的に楽になっていることは、一年前の自分の記録を見れば明らかだ。

続けてきたのは、ディクシャと、ライフ・コーチングと、祈り。ここ数年の長いさ迷いの年月を振り返ると、短期間での変化はめざましい。

これを書いている9月16日時点で、明日17日はダンスのワークショップ、それに合わせてディクシャがある。からだをほぐし、温かいエネルギーに身を浸す。一人ではなく、人が集まったとき、ダンスでつながり、ディクシャでつながる、そのOnenessの実感はより大きなものになるだろう。
posted by Dah at 23:51| ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | ☆精神世界/精神科スケッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私もディクシャをすでに3〜4回受けました。私の感じ方は「ネガティブな感情がお気楽感情の煙幕にまかれて見えなくなっていく」というイメージです。なぜこうなるのかはわからないけど、セレトニンが一気に増えるのでしょうか?これは鬱には効果があると思いました。

昨日も夕方から大勢の人の中で演奏することがあったのですが、やはり動悸がはじまったので薬を飲んでいきました。でも、前よりも少し量が少なくてもOKかなって感じました。

不思議な不思議なディクシャ。半信半疑で受けていたのですが、確かに鬱病のシリアスさが少々ボケてきているような気がします。もっとボケると楽に生きられるかなと思っています。
Posted by モリヤン at 2007年09月17日 00:51
もりやんさん
たしかに、うつに関しては、ゆるむ実感がありますね。このメカニズムは、科学的に検証もできると思います。

考えすぎないこと、できるようでできない難しさがあるけれど、ぼけっとするけど楽しくなってる、ディクシャには、そんな働きがあるみたい。

そして、自然と温泉かな。
Posted by jksk at 2007年09月17日 08:42
こんにちは〜。
お久しぶりです。
jkskさんが、飲酒量そんなに減っているなんてびっくりです。
人や自然や宇宙とのつながり、欲しいですねぇ・・・。私は純粋じゃないのか、頭で考えてしまってばかりなのか、ディクシャの効果を「これ」って言えないんですけれど、いまだにハワイリトの事を消化しきれていないのは、一つにはディクシャ効果なのかなぁ・・・・って思っています。
別のエネルギーもあるかもですけれど。

jkskさんへの効果だけでも、連れ合いさんがインドまで行って習得してきた価値がありますね。
また、お二人にお会いするのが楽しみです。。。 ^^
Posted by あやこ at 2007年09月17日 22:02
>あやこさん
 アレー、入れたはずのメッセージが・・。
もう一度。

 たしかに、不思議なことに、飲みたい気持ちがほとんどないんです。
 ・・・で、ディクシャは、ほとんど毎日受けているので、ぼくの場合、それが、ずるい? かもね。
 変化は、ゆっくりゆっくりで普通ですよ。
また踊ったりしましょう!
Posted by jksk at 2007年09月25日 22:42
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