世の中には奇妙な植物もあるものだ--強羅公園
優等生で育ってきたぼくは、ぶざまな自分が受け入れがたく、プライドの高さゆえに生きずらさをこじらせ、わざわざ大変な思いをしたものです。
初期設定が高すぎるあまり、百点が基準になって、何でもマイナスに感じられていました。たとえば、あとひとつでオール5というときに、4がひとつあると「どこで人生を間違ったのか?」なんてね。まじで。笑えますけど。
そんな中で、中学、高校、大学と進むにつれて、当然よりすぐりの秀才の中で相対的に成績は下がってくるわけで。やはり競ってもかなわないやつというのは、いるものです。成績という基準でしか自分を評価しないという考え方が、そもそもの苦しみのもとなのですが、ちょっとでも点数が下がると自己評価が一気に地に落ちるのは、優等生の弱味といえましょう。
優等生は、トライアンドエラーができない。一回の失敗が奈落。失敗する自分が許せない。つねに全能感に満たされていなければならない。自己愛性パーソナリティー障害かもしれない。百かゼロしかないので、いったん転げ落ちはじめると歯止めがなく、とめどなくローリングストーン。
それが原因かはわかりませんが、十代の終りにうつを発症したとき、もう本も読めない、大学も行けない、自分の書いたレポートさえ読み返しても頭に入らない、一気にデクノボー状態に転落し、もうダメだ、すぐ死のうと思いました(実際未遂も何回かありました)。
引きこもりが続き、妄想も激しいので、これはいよいよアブないと思い、それでも最終的には生きたかった、いや死ぬのが恐かったので、カウンセリングを通じて精神科に入院するに至ったのですが、そこでぼーーっと二年暮らすうちに、完全に社会的な感覚から逸脱しました。
退院してからのぼくは、もちろん就活もせず、田舎にかえってバイトをしながら百姓をやり、飛騨に住んで木工をやり、インドを皮切りに果てしない世界放浪の旅へと出て行くのですが、そうやって日本の社会に適応できない自分をなんとかサバイブさせていたのです。
どこまでも逃げ続けることが、逸脱者としての生活術だったのかもしれません。またはリハビリだったのかも。二十数ヶ国にわたる長い旅が、百とゼロの間にさまざまな生き方があることを、生々しくぼくに体験させました。
それからずんずんとお話は進み、いまぼくはかなり社会化されてきていると思います。名刺も仕事用とプライベート用の二種類をもって、役所にいったり、会社員や公務員の方々と話もしたり、自分としてはまったくもって驚きです。さすがに、髪の毛はもう腰まで伸ばしていません。ネクタイもありますよ。
それでも、自分の中の完璧主義者が完全に撲滅されたわけでもなく、いったんそこから逃走した人間が社会の中で生きていく難しさも、つねに感じている。人と助け合うことで初めて生きていけることも、このごろ身に沁みてきます。そして今も自分の内なる他者、他者の間で生きる自分と奮闘中です。
この限りなくあいまいで、ごちゃごちゃで、整理のつかない百ともゼロとも言い切れない人生を、ある程度生きずらさをもちつつも生きています。そして多くの人が、そんなあいまいな人生に自分の居所を見つけようとしながら、生活の苦と楽をともに計りながら生きているのだろうということが、このごろ感じられます。
この場合必要なのは、やっぱり持久力かな。体力という言葉も、このごろ切実に感じますけれど。



どうぞディクシャ受けてください。
マインドが気にならなくなりますよ。そしてただ生かされている喜び、感謝ばかりになって、らくらくになります。