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2011年07月09日

継続おめでとう--Happy continuation

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今夜は、仲間とやっているオリジナル・バンド「ポポーズ」の一年ぶりの全員参加の練習日。
・・・というのは、去年の練習あと、突如として幸弥がうまれ、それ以来練習をほとんどしてこなかったからなのだ。幸弥は音に反応して、さかんにピョンピョン跳ね、くねくねと踊っていた。やはり遺伝子クンのなせる技だろうか。

幸弥が寝についてから、自然に演奏はハッピーバースデイに。音楽はいいねぇ。音の組み合わせで自由に気持ちを伝えることができる。ぼくは歌うのが本当に好きで、この30年間歌い続けてきた楽しさが息子に伝わるのがうれしい。

子が生まれた7月9日は、親から見れば出産記念日だ。ぼくは自分の母親に関して同じことを書いたことがある。出産とは、子供が子宮から外界へと移動することである。つまり誕生とは移動にすぎないのであり、事実それ以前から幸弥は子宮に存在していた。

するとどうだろう。いつから彼はそこにいたのか。受精の瞬間か。ぼくは3年前にインドで子ども誕生の予言を受けて以来、すでに子供が周囲にいるのを感じていた。妻はたびたび青色の光を見て、それが子供の魂だと言っていた。どうやら誕生以前に、子と親との縁は結ばれているらしい。

ひとりの人間が生まれることは、先祖代々遡って一人が欠けたとしても不可能だ。

母親と父親の組み合わせだけ考えてみても、じつに低い確率から出会って子供の誕生を準備している。二人が出会わないことを考えた方が早いほど、その確立は低い。二人を結びつけるために必要だった人間関係や縁がある。それを考えるとすべてが協力して子供の誕生を準備していたかのようだ。

ティク・ナット・ハンいわく、ひとりの人間は、その人以外の要素からできている。これは彼だけの考えではなく、仏教が共通して教えていることだ。これを相即という。ひとりの人間は、他の人間や、環境、タイミングなどすべてがそろって初めて誕生する。子どもが生まれないとすれば、それはひとつでも条件がそろわなかったためだ。

しかし、生まれなくても子はそこにいる。条件さえ整えば生まれる準備をしている。ぼくの子供は、ぼくが生まれたときからその一挙手一投足の中にいて、準備していた。彼は母親の中でも準備していた。二人が出会うのを待っていた。

もし二人が出会わなかったら、その子は他の二人を選んだだろう。

そんなことを考えながら、よくぼくたちのところへやって来てくれたと思う。幸弥はじつにいろいろな人やまわりの事物の中にいた。そしてたんに生まれる瞬間を待っていただけだ。人間の存在に途切れめはない。アダムとイブの中にすでにぼくたちはあった。

だからぼくは、誕生という区切りを認めながらも、本当には誕生はないのだということを知る。すべては変容しながら移動しているのだから。だからずっと以前から君であった君へ、こう言おう。。

継続おめでとう。

posted by Dah at 00:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Mixiからの移行日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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