
字を見ただけでドキッとする言葉だ。
少しでも語感を和らげるためか、自死という言葉もあるけれど、自分を殺すわけだから、ストレートに自殺といったほうがいい。
昨日の加藤和彦さんのことが今日も時々思われた。
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ぼくも20代の初めに本格的な自殺を試みたことがある。
手段は死の確率の低い大量服薬だったので、今から考えると、やっぱり生きたかったんだろうと思う。
意識を失い、蘇生したのは24時間後で、最初は自分がなぜ病院のベッドにいるのかがわからなかった。まわりを家族が取り巻いていたので、何かあったのかとびっくりした。
そのあと何日か自分ではほとんどからだが動かせず、口が回らず、赤ちゃんからもう一度やり直したことを憶えている。オムツも当てていたはずだ。
その間、死の恐怖があらためて襲ってきた。そして眠れなくなり幻覚を見た。
強い睡眠薬を静脈注射されて、ようやくブラックアウトして記憶のない眠りに落ちた。
自殺する人間が死が怖くなるというのもおかしなものだが、
実際ぼくの場合、死のうとするときにはすっかり現実感をなくしていたので、生きている実感も、死ぬ実感もなかったのだ。それが蘇生後、現実感が戻ってくると本当に死が怖くなった。
原因はうつ状態からくる妄想だった。どうしても自分が死ななければならないという思い込みが大量のベンザリンとラボナを飲ませた。(後で聞くと、このふたつの薬では死ねないそうだが)
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本当にあの時死ななくてよかったと思う。
その理由はふたつ。
自分を殺すことは、自分の一部でもある家族や自分につながる人たちをも殺すことだ。
一切の助けを拒否し、関係を絶って、ひとりでいってしまう。エゴが作り出す「分離」という身勝手な妄想がもたらす行為だと思う。
それは諸法無我(あらゆる存在は単独では存在しない)の法則からはずれた行為なので、
エゴという幻想をますます強めることにしかならない。
もうひとつは、魂の永遠性を思うと、死んだら楽になるわけではないからだ。
たぶんいつかもう一度、与えられた課題に、下手をするともっと困難な条件のもとに取り組まなくてはならなくなる。それならいま向かい合うしかない。
それでも、長いことウツの辛酸をなめたぼくとしては、自殺する人の気持ちはわかる。
ヘッセは、自殺する人に共感すると書いているが、彼もまたウツ病だった。
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ぼくが精神科に勤めていたころ、Sさんという患者が自殺した。精神科で自殺はめずらしいことではない。しかしSさんはぼくの担当だったし、長期間にわたるリハビリを経て退院間近の自殺だっただけにこたえた。
以前にも何回か自殺企図歴のあった彼は、入院前にはビルの9階から飛び降りて、それでも骨盤骨折で助かったという人である。
何年にも渡る歩行訓練と生活訓練を経て、ようやく退院という段になって、彼は自由が利くようになった両脚を使い、歩いて横浜港の埠頭から飛び込んだ。ぼくたちは死ぬためにリハビリをしたのだろうか、という悔いがどうしてもぬぐえない死に方だった。
彼は今頃宇宙の法則に従って課題に取り組みなおしているころと思うが、何年かたって、ぼくはそれでも彼のそのときの行動は力をつくして悩んだ結果だったのだろうと、少しは受け入れる気持ちになった。
ぼくも、妄想かどうかは別としても、死ぬほど苦しんだというおぼえがある。その苦しみをひとりきりで背負うとき、人はとてももろい。現実も宇宙の法則も何も見えなくなって、ただ小さな箱の中に、「死のう」という思いだけを抱えてうずくまることになる。
一線を越えていってしまった人にはもうタッチできない。
冥福を祈るというのは、その人のありようをできるだけ受け入れ、魂の安らかであらんと祈り、自分自身は生きる、ということだと受け止めている。いまだに歯切れの悪さが残ることは確かだけれど。
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今自殺しようとしている人には、ぼくは反射的に飛びついてでも止めようと思う。
しかしほとんどの場合、相手はそんなに近くにはいないのだ。
加藤さんだってそうだった。誰も近くにいないところを、わざわざ選んで逝ったのである。
はたから見ればあんなに成功したような人でもひとりだとこれほどもろいというのは、逆に人間はひとりだけで生きるようにはできていないということを示している。
自殺を防ぐのは、人のつながりしかない。それも、弱音を吐けるつながりだ。
おならをしたり、鼻をほじったりというレベルで、心の内も見せられる、そんな関係性だ。
ひとり切りでも強い意思があれば、というのは、分離という幻想が生んだ勘違いである。
エゴのツッパリは、屁のツッパリほどにすぐに消えてなくなる。
一ヶ月に一度だが、精神障害者の自助グループの集まりをやっている。
今度の火曜日がその日に当たる。
それは、弱みを見せ合える貴重な機会だ。
現代で、そんな関係性を持っている人がどれだけあるだろうか。
火曜日の自助グループにいつも参加させてもらっている、現在休職中の20代の男です♪
自分も20代前半にうつで薬のオーバードーズで自殺未遂したことがあります。
でも今になって思うことは「生きてさえいればOK!」ということです。
どんなにつらくても孤独でもクソな人生でも生きて心を開いていれば、必ず人との出会いがあり、その中で生きていくための希望の光が見出せるはずだから♪
自殺について、東京では、年間3万人の自殺者がいます。毎年、コンスタント似です。
悲しい現実です。しかし、現実には、目を向けなければ、なりません。電車による、飛び込み自殺、薬による、自殺。・・・中には、自殺未遂も、多くいるはずです。なんとか、これを食い止めたい。しかし、できない。苦しいものです。同じ、姓名を、もらいながら、先に死を選ぶ、悲しいことです。一人野津からでは、出来ません。家族、周りのひとのケアーが必要です。このままでは、自殺大国になってしまいます。島田さんは、同、お考えですか?
03-3878-5277,08032015627
東京都江戸川区清新町1-4-15-1209
横山 透まで、ご連絡いただければ、幸いです。